どうも。
桜が咲き誇って、すごく綺麗ですよね。
でも今日は風雨が強く、明日にはどうなってることやら。
さて今回は、タイトルだけ見たらちょっと疑問に思うかもしれませんが、うつ病が面白く思える僕のエピソードをご紹介したいと思います。
これは僕だけでなく、妻に言われて気づいたことです。
こんな見方もできるんだと感心したのを覚えています。
とは言え、うつ病患者の中には笑えないくらい大変な想いをされている方々もいるので、ここではあくまで僕個人のエピソードという事だけは忘れないでください。
視点を変えればうつ病は面白い!?妻はうつ病の僕を笑っていました。
僕の実録エピソード
これは僕がうつ病を発症してから1か月程度のことでした。
全身が重く感じ、布団の上で一日の大半を過ごしていたころです。
自分はどうしてうつ病を発症したんだろう?
自分は仕事を通して何になりたかったのだろう?
そんな自問自答を繰り返していました。
ちなみにうつ病を発症した前後の、会社での僕の状況を簡単に説明します。
僕の遍歴
- 2007年:入社(新会社設立から間もなく、将来の幹部候補として採用)
- 2011年:職場の班長
- 2012年:結婚
- 2013年:妻が流産、義母のがんが判明し摘出手術
- 2013年:会社では会社内で最大部署と統合し、そこの班長任命
- 同上 :担当エリアの同僚が退職、実父ががんで他界
- 2014年:第一子出産、担当エリアの同僚が退職
- 2015年:第二子出産
- 同上 :担当エリア1人(必要工数:最低3人&残業過多)うつ病を発症し休職
- 2016年:復職、担当エリアの同僚がまた退職
- 2017年:うつ病再発し休職
- 2018年:休職中にリワークセミナーに通う
- 2019年:再度復職(部署移動)
- 2020年:うつ病が再々発により退職、Webライターをめざす
僕が社会人になってから、様々なことがありました。
上記以外にも、いろいろあり過ぎて書ききれないですが、大きな出来事はこんな感じです。
見ていただいた感想はどどうでしょうか?
僕的にはプライベートも仕事も非常に変化が大きい時期に発症しているので、自分の体調の変化に目を向けるだけの余裕がなかったのかなと思っています。
あとは、僕自身の性格としてすごくポジティブで、何か問題が起これば起こるほど、自分が何とかしてみせる。自分の限界がどの程度なのか知ってみたい!という気質があったので、余計に負荷をかけていたのかもしれません。
このうつ病の発症には、会社でのストレスによるもの。プライベートでのストレスによるものの2つが挙げられます。
どちらか一方が該当し、発症している方も多いはずです。
ただ僕の場合は、会社もプライベートも何かと変化が大きすぎました。
二つのストレスが重なり相乗効果で発症したのは、まとめてみると良く分かります。
そして僕の性格(昔から真面目と言われていました。あとは断り切れない)も大きな要因の1つかと思います。
さてこんな状況で、僕はうつ病を発症し休職と復職を繰り返し、最終的に退職したのですが、妻は一体何に対して笑ったのか?
どこに笑う余地があるのか不思議ですよね。
それではこの点についてご説明します。
妻が笑った理由
話は戻りまして、妻がうつ病の僕を笑ったのはどうしてかについてですが、うつ病を発症してすぐの頃、前述の通り自分に対して自問自答を繰り返し、なぜうつ病になったかを考えていました。
遍歴にもあったように、担当エリアの仕事が昔は10人くらいの係で対応していました。
それなのに部署が統合され、担当エリアの人員も減り、挙句の果てに同僚が立て続けに退職。とうとう担当エリアの仕事ができるのは僕一人になっていました。
毎日残業は当たりまえ。自宅に帰れば子供が小さく妻も寝不足が続いたりで神経がピリピリ。
「もっと早く帰って来て!会社は他に誰か代わりがいるでしょ!家には代わりになる人はいないの!」という、間違いない正論をよく投げかけられていました。
でもこの時の状況は、会社でも代わりがいなかったので一体どうすれば良いのか分からずでした。
そして、とうとううつ病を発症。
妻は泣いていました。自分も子育てが大変な時期なのに僕のことも心配していてくれたのです。
でも僕は何もしてあげることが出来なかった。
そんな自分は何のために働き、何のために結婚して子供が欲しいと思ったのかが分からず、ずっと頭を抱えていました。
全く笑えない状態です。
日数が経過すると、徐々に冷静さを取り戻し、会社では自分がいなくなれば、製品を生産することができなくなりお客様や協力会社に迷惑をかける。
そして関連部署の人たちにも迷惑をかける。
何としても自分が何とかしなくては!と強く思っていたことに気づきました。
そんな自分を俯瞰していたら、ふと僕の脳裏にある有名な歌が流れてきたのです。
何だと思います?
みんな知っている歌なのですが、それは”アンパンマン”でした。
えっ?意味が分からないと思うかもしれませんが、当時の僕にはこの歌の歌詞が自分にピッタリと当てはまったのです。
どんな歌詞かは以下の通りです。
「そうだ 恐れないで みんなのために 愛と勇気だけが友達さ
アンアン アンパンマン 優しい君は 行け みんなの夢守るため
何が君の幸せ 何をして喜ぶ わからないまま終わる そんなのはイヤだ
忘れないで夢を おそれないで涙 だから君は飛ぶんだ どこまでも」
きっと僕はアンパンマンになりたかったんだ。
その当時、本気でそう思いました。
自分の仕事に関わるすべての人の生活がかかっている。
それを守るのは残された僕しかいないんだ。
この辛い時期を乗り越えれば、会社でやりたいと思っていたことも実現できるようになるかもしれない。だから今は先が見えなくても頑張るしかないんだ!
この思いがアンパンマンの歌とリンクしたのです。
気づけばこの歌を、布団に入りながら口ずさんでいました。
それをたまたま妻が聴いていたみたいで、「えっ!?急になんでアンパンマンの歌なんかうたってるん?」と尋ねてきました。
そして僕は、前述の想いを真剣に妻に話しました。
僕はアンパンマンになりたかったんだと。
次の瞬間、妻が大爆笑!!
こんどは僕が「えっ!?」となりました。
いたって本気です。それをなぜ笑う?
妻は「なんでアンパンマンなん?急に真剣な顔でアンパンマンの歌なんか歌っていたら誰でも笑うでしょ!」とのことでした。
いや待て!悩みに悩んで出した答えを大爆笑で終わらせる妻。
とは言うものの、同時に僕の心も少しホッとしました。
暗い雰囲気が漂っていた我が家に久しぶりに笑い声。
とりあえず何でもいいや。うつ病で動けない僕を見ているのは辛いはずなのに、そんな僕を見て笑ってくれるのであれば。
今思い返すと、恥ずかしくなります。
うつ病を発症すると冷静さや客観的な視点などを失うので、アンパンマンの歌を唄ったのはそのせいだと思います。
以上が、妻がうつ病の僕を笑った経緯になります。
あの時、妻が笑わずに、不気味で恐ろしいと感じていたら、前に進もうという意欲を持った今の僕はなかったかもしれません。
妻や子供、家族がいて本当に良かった。
もし現在、うつ病を発症し苦しんだり悩んだりしている方がいるのであれば、是非言いたい。
良くなった時に、自分の言動を振り返ると変な言動ばっかりだったと。うつ病って視点を変えれば意外と面白いかもと。
だから、その日が来るまで生き抜いてください。
きっと笑顔が待っていると思いますよ。
ではでは。
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